『海炭市叙景』

佐藤泰志の同名小説を、彼の故郷である函館市の企画により映画化された作品。監督は北海道出身の熊切和嘉。原作小説は18編の連作短編集となっているが、もともとの構想は36編、作者自殺により未完とのこと。本作品ではその中から5編を選んで映画用に脚色している。


12月18日 公開
監督:熊切和嘉
出演:谷村美月/竹原ピストル/加瀬亮/三浦誠己/山中崇/南果歩/小林薫

【ストーリー】
その冬、海炭市では、造船所が縮小し、解雇されたふたりの兄弟が、なけなしの小銭を握りしめ、初日の出を見るために山へ昇ったのです…。
プラネタリウムで働く男は妻の裏切りに傷つき、燃料屋の若社長は苛立ちを抑えきれず、父と折り合いの悪い息子は帰郷しても父と会おうとせず、立ち退きを迫られた老婆の猫はある日姿を消したのです。
どれも小さな、そして、どこにでもあるような出来事です。そんな人々の間を路面電車は走り、その上に雪が降り積もります。誰もが、失ってしまったものの大きさを感じながら、後悔したり、涙したり、それでも生きていかなければならないのです。
海炭市でおきたその冬の出来事は、わたしたちの物語なのかもしれません。

配給:スローラーナー
2010年/日本/152分/カラー/35mm/DTSステレオ
(C)2010 佐藤泰志/『海炭市叙景』製作委員会

公式サイト http://www.kaitanshi.com/

作品は5話オムニバスのスタイルを基本としており、それぞれのエピソードが同じ年末の数日間を、場合によりその前後の時間も含めて、描いている。なので共通する造船所縮小の話題や各々の登場人物や設定も各エピソードの随所に挿入されて描かれる。原作では年末から春へ季節が移り変わってゆく中で語られた物語を同じ時間軸の物語に置き換えるためのパズル組み換え作業と、より物語的であるようにと手を加えられたことにより、細かな設定は原作と大きく変わっている。
この作品の登場人物たちは皆、過去に「しあわせ」を失い、現在もその「もう取り戻せないしあわせ」の喪失にもがいて生きている。だから彼らの未来に明らかな希望は提示されず、その希望のなさは町全体を覆っている。これが地方都市の現実のある一面を確実に描き出しているのだろうとも思えるが、地方都市で生活した経験がないため正直分からない。それでもこの作品の持つ閉塞感はまっすぐ伝わってくるし、その息苦しさと登場人物たちのヒリヒリとした孤独は鑑賞後もしばらく残るほどだ。

けれど残念なのは、各エピソードの関係性が中途半端に思えてしまうこと。先述したように同じ時間と出来事を共有している物語であり、一応は路面電車が全てのエピソードをつないでゆくのだが、そのパズル組合せ方がイマイチ。せっかく路面電車というアイテムがあるのだから、もっと綿密なパズルを組み上げることができると思うのだが、本作品は非常に安易で(少なくとも私には)何のエモーションも感じられない時間と空間のつなぎ方をしてゆく。かろうじて谷村美月竹原ピストル演じる兄妹の部分だけは良かったと思う。
そしてもう一つ本作品の大きな特徴と言えるのが冒頭にも書いたように、映画そのものが函館市による企画であること。幾多の映画やテレビなどで撮影されている観光都市としての函館ではなく、函館という地方都市に生きる人々の姿を作品として残したいと佐藤泰志の小説を選び企画を立ち上げたのが、函館のミニシアター「シネマアイリス」支配人 菅原和博氏を代表とした有志団体であること。『海炭市叙景』を選んだことで、近年多くある地方都市資本の映画作品が避けることのできない「町のイメージ」という呪縛から一部でも解放されたことは、やはり特筆すべき要素だろう。それは「町のイメージアップ」よりも映画としての「作品」を選んだことになる。実際この作品だけを観て「函館に行きたい」とか「住んでみたい」とは思わない。
それでも「町のイメージ」を完全に無視できず、結果中途半端な描写を生んでしまっているように感じる。とくに作品終盤で描かれる路面電車により各エピソードをつなげてゆく描写と、「それでも人生は続いてゆく」的な微かな希望の片鱗を残そうとする安易さは、確実に『海炭市叙景』という物語を邪魔しているように思える。もちろん「生きてゆく」という希望を残すことに異論はないが、もう少し違う方法はなかったのだろうか。
そんな中でガス屋の若社長を演じた加瀬亮の好演が強く印象に残る。


ミニパラ http://www.minipara.com/movies2010-4th/kaitanshi/

海炭市叙景 (小学館文庫)

海炭市叙景 (小学館文庫)