『ACACIA -アカシア-』

『フィラメント』以来6年ぶりとなる辻仁成監督作品であり、アントニオ猪木の初主演作ともなる作品。映画に限ったことではないのだが、それでも特に映画では感想を書くことがむずかしい作品というモノが幾種類かあって、本作品もその一つ。この作品は観る人の鑑賞の動機によって感想が大きく変わってしまうと思われる。


6月12日 公開
監督:辻仁成
出演:アントニオ猪木/林凌雅/北村一輝/坂井真紀/川津祐介/石田えり

【ストーリー】
さびれた団地の用心棒をつとめる初老の元覆面プロレスラー、大魔神。彼は息子に充分な愛情を注げなかった悔いを胸の底に秘めて生きてきた。そんな彼の家に転がり込んできた少年、タクロウ。母親に置き去りにされ、誰にも心を許さないタクロウが、大魔神の前ではなぜか素直になれた。あたたかい団地の住人たちとアカシアの木々に見守られ、束の間、親子のように暮らすふたり。かけがえのない時を重ねるウチ、それそれが本当の家族と再会し、過去の痛みを乗り越える勇気を手にしていくー。

配給:ビターズ・エンド
2008年/日本/100分/カラー/ビスタサイズ/ドルビーSR
(C)『ACACIA』製作委員会

公式サイト http://acacia-movie.com/index.html

まず私個人は、アントニオ猪木という人にはほとんど何の思い入れもない。プロレスも観ないし、時々見るテレビ番組に出演している程度の印象しか持ち合わせていない。なのでプロレスのファンやアントニオ猪木ファン的目線での感想は全く想像もできない。次に映像作家としての辻仁成という人にも、ある種の胡散臭さを含む偏った印象を強く持っている。前作『フィラメント』をはじめとする監督作品には唖然とするしかないような強いダメージを受けているので、最初から期待値というハードルがかなり低い。そんな前提で見た本作品の感想は、文句もたくさんありますが「まあ普通」の映画でした。これまでの辻仁成監督作品よりも本作品の物語が比較的普通であったことと主演にアントニオ猪木を配したことが、本作品から辻仁成の「毒」を薄めさせた要因だと思われる。
辻仁成特有の世界に対するアプローチと物語展開の突飛さ、ちょっとビックリするような決して日常的とは言えないセリフ回し、そして頻繁に挿入される物語上の必要性を全く感じない「撮りたかっただけ」の構図に凝ったカット。これまでの作品のこうした映像作家・辻仁成「的」なものに辟易することが多かった。けれど本作品で辻仁成自身が「離婚により一緒に暮らすことができない子供」への思いを物語の発端としていることや、決して演技が上手いとは言えないアントニオ猪木にも8歳で亡くなった子供が居たことによる役への思い入れ、といった付加要素が本作品を「まあ普通」の作品に高めている。実際、アントニオ猪木の存在感は演技とは別レベルで作品に大きく作用しており、何の狙いもなかったであろうカットでも確かな「哀しみ」を映し出している部分もある。けれども先述したような辻仁成「的」なものが本作品に付加された要素を相殺してしまい、結局のところ辻仁成映画になってしまっている。
本作品で辻仁成は原作・脚本・監督にクレジットされており、原作小説『アカシアの花のさきだすころ -ACACIA-』が存在している。ところがこの原作小説、初出は雑誌「新潮」2009年4月号とのこと。本作品の撮影が2008年6〜7月なので、小説が撮影後に書かれたか、もしくは撮影前に準備として書かれていたと思われるが、詳細は分からない。いずれにせよ映画と小説がほぼ同時期に準備されていたことは確かであり、いわゆる小説があっての映画化ではない様子。けれどもこの小説版と映画版では相違点も多く、語り口の違いからも全く別の作品と言っても良いかもしれない。しかも小説版の方は辻仁成「的」なものが全編を彩っており、読んでいるだけでクラクラしてくる。
と色々書いてはいるが、実は本作品に対する的確な感想が見つからない。肯定するつもりはさらさらないし、かと言って辻仁成作品であるにも関わらず全面否定する気にもならない。ましてあと一度二度鑑賞して再確認しようとも思えない、とてもやっかいでヘンな映画でした。