『音楽は自由にする』 坂本龍一著 (新潮社刊)

坂本龍一初の本格的自伝とのこと。
といっても坂本龍一の半生について月刊誌『エンジン』の編集長 鈴木正文がインタビューして纏めたもので、
同誌に約2年にわたって連載されていた記事を単行本化したもの。

思ったよりも、なかなか面白かった。

坂本龍一の音楽を意識して聞きはじめてから既に20年が経つ。
(改めて計算するとすごい時間が経っていることにビックリする)
これまでのインタビューなどから知っていたエピソードも多くあったが、
こうして時系列に沿って並べられると、また違った印象を受ける。
一部のディープなファンからは「もっと掘り下げてほしかった」などの感想もでているようだが、これはこれで充分に面白いと思う。

前半は音楽と家庭や友達、そして学生運動などを中心に語られ、
大学時代の黒テント自由劇場などの演劇への参加、
フォークシンガーたちとの出会いから、
その後のYMO時代へと流れが続く。

まず、このあたりで登場する人々があまりに錚々たる面子であることに驚く。
母方の祖父が成り上がりの財界人で、大学時代親友が後に総理大臣となる池田勇人であったり。
坂本自身の中学高校時代の友人が塩崎恭久安倍内閣時の内閣官房長官)であったり。
高校1年で紹介された作曲の先生が池辺晋一郎で、「芸大の作曲課、今受けても受かるよ」と言われたり。
その他もろもろ。

また、バッハからビートルズストーンズ、そしてドビュッシー民族音楽、フォークやポップスと、古典から現代音楽へシフトしていく音楽変遷も楽しい。

紙面の下段が注釈欄になっているのだが、この注釈にあげられているリストの統一性のなさも面白く、まるで音楽事典と戦後日本文化事典みたいだ。

その後、
戦場のメリークリスマス』への参加、
YMO散開とソロ活動、
『ラスト・エンペラー』でのアカデミー作曲賞受賞、
ニューヨーク移住、
形だけのYMO再生、
9・11テロ、
そしてYMO再々結成と、
現在へ続く。

終章近くで坂本は、
「今、世界的に、音楽の値段は限りなくゼロに近づいている」
と語る。
CDを購入する人が減っており、
インターネットからのダウンロード販売がそれを補っているとも言えない。
「ぼく自身、今後CDを売って音楽家として食べていくことはできないでしょう。常にヒットチャートの上位にいるようなアーティストでないと、コストを回収できない」と。

同時に、
57年間で出会った人々が与えてくれたエネルギーは膨大で、
「一人の人間が生きていくということは、なぜこんなにも大変なんだろう」
また、
「(YMOとして)3人でやるのは、やはり面白い」
「若いころはうまくいかなかったけれど、年を取ったからこそ、また2人と一緒に音楽ができるようになった、ということかも知れない。だとしたら、年を取ってよかったと思います。(中略)若さなんて、全然いいものじゃないんですよ」
と語る坂本龍一57歳に感動する。

音楽は自由にする

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