『ロックアウト』

ニューヨーク国際インディペンデント映画祭2009で外国語部門最優秀長編映画賞、最優秀監督賞、最優秀スリラー賞を受賞した、高橋康進監督によるインディーズ作品。
日本の自主製作映画はずいぶん久し振りに観た気がします。若干の物足りなさ感は残りますが、総合的にはとても面白い作品でした。海外の映画際で幾つもの賞を受賞していることや主演俳優が友人であることを除いても、充分に面白かったと思います。


公開中 3月18日まで
監督:高橋康進
出演:園部貴一/緒方美穂/宮下ともみ/木村圭作/島田岳

【ストーリー】
記憶の一部を失いながらも、あてどなく車を走らせる男・広。些細なことに苛立つ彼は、自分でも気づかない内面の暴力性に戦慄を覚えるのだった。そんな折、立ち寄ったスーパーマーケットで広が車から離れた隙に、見知らぬ少年が自分の車に乗り込み、内側から鍵をかけていた…。

公式サイト http://www.gr-movie.jp/locked/index.html

作品の冒頭はスリラー映画的要素が強いのですが、忘れた頃にやってくるタイトルとオープニングクレジットの後、ストーリーの大きな転機となる主人公と少年の交流を経て、冒頭とはかなり印象の違う方向へ物語は進んでゆきます。なので、分かり易いジャンル分けをできない作品ですね。大仰な説明になりますが、ジョン・カサヴェテスから始まるニューヨーク・インディーズ映画のにおいがプンプンしてきます。特に1990年代から2000年初め頃のスタイリッシュな作品を撮る監督たちの映画を思い出させます。私個人的にはハル・ハートリー作品が頭の中に浮かんできました。登場人物たちの行動原理や、カメラが切り取るフレーム、少し長めのカットじり、音楽の使い方などに高橋監督の映画に対するロマンを感じます。本質はウエットで暖かいのに、対象から一歩引いたところから見ていて、表面的には渇いているようにも見せる。個人的にこの感覚はとても好きです。最近のインディーズ作品の傾向やこの数年でインディーズから商業映画を撮り始めている監督たちのことは勉強不足でよく知らないのですが、このような微妙な空気感を高橋監督は結構上手く形にしているのではないかと思いました。高橋監督の他の作品は観たことがないので、この作品スタイルが本作品だけのものなのかは分かりませんが、これからの作品も機会があれば観てみたいと思わせる作品でした。
ただ、気になるところも幾つかありました。
まず、主人公である広が一時的とはいえ自分の名前まで忘れるほど記憶を失っている必然性が全く感じられないこと。後半で語られる「ショッキングなできごと」から車を走らせて知らぬ町へ辿り着くわけですけど、その「ショッキングなできごと」の記憶だけを失っているのであれば、まだ納得できます。物語中盤で、広が少年と出会って行動を共にする中で少年から尋ねられた質問をきっかけに、それまでの広の物語がよみがえる記憶として断片的に少しずつ語られていくという描写があまりに説明的すぎて全体から浮いてみえるのです。だったらオープニングタイトルの後にでもテンポ良く「ショッキングなできごと」までの経緯を見せてくれた方がよほどスッキリするのではないでしょうか。そもそも、自分に関する記憶がないって結構大きな事件だと思うのですが、その事件の大きさが物語に全くフィードバックされていないと思うんですね。
それともう一つ。広の秘められた暴力性を現す「彼(製作上の呼称がわからないので「彼」とします)」の描き方も中途半端に感じてしまいます。あれではただのパラノイアでしかなく、広の怒りが沸点を超えたときだけ表れる広の豹変したもう一つの人格もしくは願望の姿でしかなくなってしまいます。広自身が「彼」の存在に気づかないくらい何気ない日常の瞬間にもフッと姿を見せるほど広の生活(意識)に寄り添っていてこそ、ラストでの「彼」の行動が活きるのではないかと思うのです。
作品の前半を支配するスリラー的要素と、少年との言わば小さな旅の過程で再生される自己、そしてラストの絶対的肯定。どうしてもそれぞれが上手く溶け合っていないように感じて、とてももったいないな、と思ってしまいます。
他にも細かいところでは、少年の母親の言動がステレオタイプ過ぎるとか、広と恋人のセックスシーンは要らないとか、幾つかありますが、些細なことなのでここでは言及しません。
最初にも書いたように、総合的には面白い作品だと思います。インディーズ作品によくあるような監督の独りよがりな部分も見受けられませんし、観る人が居ることをきちんと意識して作られている映画だと思います。もちろん数あるインディーズ作品の中でもかなり上位に位置する作品であることも確かです。日頃この手の映画を観ることのない人でも、ぜひこの機会に現在の日本製インディーズ映画に触れてみるのも良いかもしれません。